ノマド・ジュンのねはんスタジオ

アートと思索の日々への回帰 ノマドとは知と信を求めてさすらう旅人 ねはんは涅槃で寝半 
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# 「クルアーン」&「タラバ、悪を滅ぼす者」(アラビア文学史)

「クルアーン」&「タラバ、悪を滅ぼす者」(アラビア文学史)
アラビア探訪ラストです。「クルアーン」、間違いなくアラビア文化に最も大きな影響を与えた書。7世紀ムハンマドが神の言葉を暗唱したものを記したとされるこの書はしばらくの混乱期を経た後、8〜11世紀にかけてアラビア世界にイスラムによるかってない統一性をもたらし、そのウマイア朝、アッバース朝は科学、医学、天文学、文学など文化的にも、四分五裂状態のヨーロッパをしり目に黄金期を迎える。その成果を何らかの形で目にすることができれば、ダ・ヴィンチの天才もそれを模するだけで可能なのではないかと思えるほどだ。ただ、ほとんど破棄、焚書、美術造形を厳しく禁ずる教えもあり、その黄金期の文学的固有名詞を見てもちんぷんかんぷん。「千夜一夜」はイスラム以前の物語だし、私(たち)が何となくわかるのはペルシャやスペインなど西方イスラムのキリスト教と交わる辺りの周辺的なわずかな作品のみ。何とも残念だが、神との「高...度の対話?」がなされた跡が感じられる。
「タラバ・・」これはアラビアの作者ではなく、イギリスロマン派の桂冠詩人ロバート・サウジーによってアラビアを舞台にして表されたもの。アラーの僕たる少年が海底の魔王を滅ぼすべく旅を続けるという勧善懲悪物語。最初文物になれないためややとまどったが、いくつかの章(巻)に分かれていて、そのたびに少年が魔王の手下によって「あわや」というところまで追い詰めらられるのだが、神の僕たる少年は負けるはずがなく、最後その使命を果たすというもので、構成はとても簡明で分かりやすい。またロマン派の詩人の文章だけあって絢爛な言葉の渦が高揚感を駆り立てる。自分はこのサウジーという人はよく知らなかったのですが、ワーズワスのひとつ前の桂冠詩人なんですね。個人的には膨大な注釈がアラビア世界を覗くのにとても役立った。
イスラム。やはり理解の難しい世界と思えます。特に女性の活動が難しい。日本に来るムスリムは日本の文化に溶け込もうと必死ですからこちらにとってはわかりやすい(やりやすい)面が大きいのですが、故国では一味・・。神との対話に真剣な民族性というか、その姿勢は絶えずキリスト教世界に影響を与え続けてきたのは間違いなく、両者が兄弟教なのはわかる気がします。

| comments(0) | trackbacks(0) | 21:13 | category: 「アスカロン」ノート |
# シュメール神話(ギルガメッシュ叙事詩)とアラビア古詩(カシーダ)
シュメール神話(ギルガメッシュ叙事詩)とアラビア古詩(カシーダ)
この秋のアラビア探索から。メソポタミア文明発祥の地シュメールでは前3000年くらいまでには世界最古の楔形文字が経済、行政、碑文などで活用されていた。この叙事詩はその文字を使って書かれた代表的な叙事神話で有名な「イナンナ(イシュタル)女神の冥界下り」が含まれ、これを創作に取り込めないかと頭を絞り絞り読み進めた。ちなみに「イナンナ・・」は日本神話の「イザナミの(冥界下り)」の原型になったものと思われる。
何気なく読んでいてハッと驚かされるのは、この時代にすでに膨大な記録、「詩」と言えるものに対応できる文字が作り出されていたこと。このシュメールの楔形文字はエジプトのヒエログリフと並んで世界最古の文字と目されるが、これを工夫することによってバビロニアやアッシリアのアッカド語が出現し、その影響のもとフェニキア文字やそれから派生した古ヘブライ文字、キリスト黎明期のアラム語などのセム系、クレタ、ミケーネの線文字、ペルシャ系文字などを経て、ローマを中心とするラテン語とアラビア語に収れんされてゆく。この旅路・足跡は許されるならゆっくりとたどり直してみたい衝動に駆られる。
ところで話し言葉の発生から書き言葉への変遷・移入には膨大な工夫がなされざるを得ないのだろうが、その言葉を発するという行為も考えてみればどのように始まったのかとても興味深い。必要上動物や物、家族を表す単語から始まって、それをどうするという動詞と感情を表現する発語、音節文字へ。少なくとも、牧畜、農耕の管理社会が始まるまでにはそのようなものが整備される必要があるわけだけど、実は、「吟じられる詩」はそれとは発祥を異にするらしい。アラビアの場合、農耕以前から続く遊牧のなかで駱駝の歩み、脚の調子から編み出されたものだという。それを文字にするのは至難の業で、書かれたものを見ていてもT,L、Qを中心にした棒文が並んでいるだけでそれほどつまらないものはないらしい。それを生きたものとして吟じるためにはおびただしい脚韻などをアクロバチックに使いこなす必要があるわけだが、その手法はすでに途切れて再生は不能と。叙事詩にしても本来は吟じられるもので、何千行もあるトーテム(家計の由来など)を諳んじる「詩人」の存在が不可欠だったようだが、多分、文字を発明したことで私たちの記憶力は格段に落ちてしまったはずだ。
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# 誕生日

誕生日を迎えました。来年はいよいよ高齢者の仲間入りです。
ライフワークに近い創作についてですが、前回の「アスカロンー起源の海へ」は多くの美術家のみなさまのお力添えを頂いたものではありますが、内容を見ると、私自身にとっては間違いなく貴重なノートになりましたが、出版という形を取った以上、読んでくださる方々にはどうなのよ、と問われると、どうかな、と思わざるを得ない面もありました。自分としても、あそこで終わりにはできないなという気持ちが強く、続編に挑戦しています。よいラインが見えてはいるのですが、それに肉付けをするための気力と体力がなかなかです。

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# 京都造形芸大

アスカロン続編の申し合わせで、昨日京都造形芸大に御大を訪ねる。都をどりが開催されていてなかなか賑やかでした。構内を案内していただいたが、ちょっとした山登り並みの急こう配。学校の上からの市街の眺望はナイス。学生さんが編集したという「京都東山職人手帖」を購入。がんばってるな。

| comments(0) | trackbacks(0) | 20:31 | category: 「アスカロン」ノート |
# 著作活動について朝日新聞に掲載
私の「著作活動」について朝日新聞に掲載していただきました。自宅と医院で計4〜5時間にわたる取材を受けましたが、みっちり丁寧にまとめていただいています。感謝!!
| comments(0) | trackbacks(0) | 20:22 | category: 「アスカロン」ノート |
# 「アスカロン」ノートー前1200年のカタストロフ・ユダヤの誕生
「アスカロン」ノートー前1200年のカタストロフ・ユダヤの誕生 「アスカロン」の本体にかかわる部分です。 東地中海とナイル・西アジア(たぶん世界最古の文明葛藤地域)の古代の姿を透かしみてみたいという欲求がこの物語の根幹にあるのですが、しばらくその辺りの振り返りを試みたいと思います。ここは地勢的にも文化的にも日本からはあまりにも遠い世界ですが、日本も巻き込まれる世界の問題のルーツはほぼすべてそこにあると読み取れるからでもあります。ただあまりに遠く、物語るしかありませんが・・。 まず東地中海(エーゲ海とその南)と周辺の構図。前一万年くらいからあちこちで簡単な耕作とそれに伴う祭祀・流通が見られはじめ、前五千年くらいまで緩やかに集落が形成され、前3000年くらいからメソポタミアやナイル流域で王朝が勃興。西アジアのほうは青銅器から鉄器文明に移る過程でバビロニア(ほぼ現イラク)・ヒッタイト(アナトリア半島)・アッシリア(ほぼ現シリア)の間で衝突が繰り返されるが、ナイル流域は上ナイルの勢力が下ナイルを管理する形で堅固な古代エジプト王朝を築いてゆく。一方東地中海では北のミケーネ文明(古代ギリシャもその一員)とその南のミノア文明(ゆったりと開放的な性質と)が両立していた。カナン(現レバノン・パレスチナ)辺りにはフェニキアの人たちが散在していた。それなりの習合離散はあるものの、これがほぼ誰もが認める地中海を取り巻く古代の姿かと思います。 それが前1400年ごろミケーネがミノアを滅ぼしたあと辺りからエジプトも当時西アジア最強のヒッタイトもミケーネも同時に衰退する(文書資料が残らない)「前1200年のカタストロフ」といわれる暗黒時代がほぼ400年にわたって訪れます。この原因は気候変動(大災害)、鉄器の流布、海の民の襲来など諸説ありますが、ここで堅固な強国同士の(幸福な)にらみ合いは終焉し、この地域が一気に流動化し、その後文書で示される限りでは、前800年ごろから新しい統治形態を獲得したギリシャのポリス勢力がこのあたり一帯を席巻する、となります。 この流動化の時代にさまざまな動きが出るのですが、そのひとつにアブラハムに率いられたユダヤのカナン入植があるといえそうです。その都エルサレムはアンマンとほぼ同緯度、死海の北部の緯度にあたりますが、現在の気候ではこのあたりまでは水と緑がそれなりに豊富、それより南は休息に砂漠地帯に。アブラハムはバビロニアが出自とありますから、何らかの理由でバビロニアを追われたか、あるいは志を立ててこの地に開拓民として入ったかというようなことでしょうか。その後ユダヤは前1000年ごろ周囲の大国が弱体化する微妙なバランスのなか、ダビデ・ソロモン王の最盛期を経て一時の幸福な時代を過ごします。
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# 「アスカロン」ノートー十和田〜八戸〜いわて銀河鉄道
「アスカロン」ノートー十和田〜八戸〜いわて銀河鉄道 北東北の旅は、秋田大湯から再び青森の十和田に戻り、十和田市現代美術館を訪れて八戸からいわて銀河鉄道で盛岡に抜けた。十和田を訪れるのは大学2年生の秋以来2回目。このときは八甲田を北から縦走して奥入瀬・十和田湖を経て八幡平、さらに岩手山まで縦走し盛岡に。途中バスかヒッチハイクで秋田大湯を通っているはずなのだが、そのころは環状列石より山の尾根の形状に興味があったためか列石のほうは記憶にない。この年は春に下北半島も訪れており、この地域にずいぶん縁のあった年だ。 十和田地方が現在の湖を中心とする光景になったのは平安初期の十和田火山の大噴火以降。この噴火で多くのものが埋まったことが推察されるが、分厚く見事な舌状台地が何筋も八戸に向かって伸びる。八戸から一度乗ってみたいなと楽しみにしていた銀河鉄道に乗る。しかし、大変なガスで山は見えず、がっかり。が、代わりに鉄道と絡むように走る馬淵(まべち)川が面白かった。この川、青森・岩手の県境くらいでなくなるのだろうと思っていたのだが、くねくねと何と岩手県の中央付近まで達し、上流はほとんど北上川の流域と重なる。したがって岩手の北側半分は八戸に向かって非常に緩やかに傾斜しており、川を使えば八戸と岩手南部内陸は三陸を回らなくてもほぼ水運でつなげることが可能。これは古代〜近世のこの地域にとっては大きなアドバンテージだっただろう。盛岡で岩手山の秀麗な頂きを見あげながら帰路につく。
| comments(0) | trackbacks(0) | 20:31 | category: 「アスカロン」ノート |
# 「アスカロン」ノートー秋田大湯環状列石とクロマンタ
「アスカロン」ノートー秋田大湯環状列石とクロマンタ 鹿角盆地に北方から延びる舌状台地のうえに2基並ぶ国内最大級の環状列石。舌状台地というのは読んで字のごとくだが、自然の祭壇のように思えて面白い。その両側を走る川の流れがグッと迫ってくるあたり、上流から見て右の建物を伴う「万座」とよりシンプルな「野中堂」が鎮座する。見つめているといろんなイリュージョンが錯綜する。 一見して、野中堂のほうが祭祀的な神聖度は高そうだ。万座は控えや伝達補助など、より人間的社務的な空間のように思える。野中堂の中心にある立石では神と部族の生死をかける凄絶なやり取りが行われたはずだ。今、科学・法・予兆などと呼ばれているすべてのものを含む交信。祈りの力を高めるために、野中堂の周りにはより神に近い人たちが、万座には人間界を代表する部族の長などが埋葬されたのではないだろうか。そんなことがスーッと観想される場所だ。 その北方に鎮座するクロマンタ(黒又山)もなぞの場所。日本版ピラミッドと称されたりもするが、登ってみて一見する限りは、そんな風には見えない。以前は山の頂上に大昔からの遺構があった(現在は薬師堂)とのことだから、その部分のみいわゆるトップキャップ(ピラミッドの頂点に置かれる)になっていたのではないかと思えた。ピラミッドもクフ王の大ピラミッドみたいなのはエジプトでも建造できたのはごく短期間で、それから下ると泥で作られたり、盛り土をしてオベリスクを建てるだけとかになるようだ。世界に流布したのはこのオベリスクの時代で、これが地域によってトーテムポール(こちらのほうが古いかも)だったり、墓石だったりということになるのだろうと思う。たぶんそこには部族の由来や担った人たちの名前が刻まれているはずだ(日本仏教では位牌)。そして、野中堂の立石とクロマンタの頂上をつなぐライン上ずっと北には今は湖にかわっている(大)十和田火山のどこかに祭祀的な建造物があったのかもしれない。 とにかく大湯はそんな風に観想がいろんな方向に流れる場所だ。クロマンタのうらにはさらなる遺構が潜むといわれるが、そこには人が近づきたがらないと。私も車で横から観察したが、そこだけは早く立ち去りたい衝動にかられた。 「アスカロン」の物語では、夢の中で巫女になった由美がクロマンタの上で託宣をうけ列石まで走り下ってそこに集まった人たちに声明する、という設定になっています。物語では全般に、直感を外さないよう気をつけながらですが、やや緩めに書いています。
| comments(0) | trackbacks(0) | 18:08 | category: 「アスカロン」ノート |
# 「アスカロン」ノートー岩木山神社
「アスカロン」ノートー岩木山神社 お山をご神体にしている神社は数多くあるが、この岩木山神社もとてもわかりやすい。津軽行を終えた夕方お参りする。神社へのお参りは早朝か夕暮がよい。津軽の古層に触れる行程を無事全うできたことへの御礼をさせていただいた。
| comments(0) | trackbacks(0) | 20:24 | category: 「アスカロン」ノート |
# 「アスカロン」ノートー十二本ヤス
「アスカロン」ノートー十二本ヤス 津軽中部、金木町のはずれの山中。探しまわった末にやっと行きついた。「天を突き周囲を圧する」巨木ではない。かえって痛々しささえ感じる。素晴らしい木だなと思うとき手のひらをそっと幹にあててみるとそのエネルギーがじわっと伝わることがある。このときもあててみた。体に力がメキメキと満たされるとともに、この木がもつ思いのようなものがじわっと伝わってくる気がした。経験したことのない不思議な感覚。瑞々しい空気のなか、しばし立ちつくす。
| comments(0) | trackbacks(0) | 20:27 | category: 「アスカロン」ノート |
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